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Monday, October 16, 2006

«Paradis perdu» 1・rimacona

rimaconaによって演奏され、すっかりニューカレドニアで展覧会のテ−マ曲になったのが「paradis perdu(パラディ・ペルデュ)という曲です。意味は「失われた楽園」です。
私は、ニューカレドニアでたくさんの日系二世に出会う中で、彼らが子供の時に突然引き離された父親に対し、永く抱いていた気持ちを歌にしたいと願うようになりました。父親のいた時代は彼らにとってもっとも幸せな、そして父親との別離は人生における最も悲しい記憶であり、長くその心の奥に封印されてきたものでした。
京都で活動する音楽デュオrimaconaの柳本奈都子さんは、私が指導している学生なので、さっそくこのプロジェクトに興味があるか聞いてみました。彼女とその相棒、原摩利彦さんはすぐに快諾してくれ、私の歌詞に原摩利彦さん(rimacona)が曲をつけ、柳本さんが歌ってくれることになりました。そして、私はチバウ文化センターでのrimaconaコンサート開催を提案したのです。
2006年3月、ふたりはニューカレドニアにやってきました。短期間で日本人移民史を理解してもらいたくて、ヌメアから車で2時間弱のチオに連れて行きました。ここには、1892年に日本人が始めて鉱山労働者として到着した場所で、ニッケル鉱石でつくられた墓標がたちならぶ日本人墓地があります。
雨の中、私の説明を聞きながら、ふたりが何を感じ、それがどう彼らの音づくりに現われてくるか、期待をしながら見守っていました。

8月6日、オープニングイベントのトリを飾るrimaconaのコンサートは、200人のホールが満席になる盛況ぶりでした。三つの異なるヴァージョンによる「paradis perdu」をはじめ、熊本の童歌を研究しながらつくった曲は、観客の心の中に浸透し、柳本さんの、時に優しく、時に地底から響くような歌声に、多くの人が涙をうかべました。日本への憧憬が音になって、カレドニアの人の心を打ったからでしょうか。音楽は、国境も言葉も超えて会場を別空間に仕立て上げました。
私は、若い彼らが寛容と、貪欲さを持って、日本人移民史の過去と現在と未来の中に飛び込んでくれたこと、そして、心をこめて現地の日系人たちに音楽の贈り物をしてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいでした。

現在ふたりは、2007年3月から日本で巡回する展覧会にあわせて開催するコンサートのために新曲をつくっています。彼らがカレドニアで何をかんじとったか、それが音にのり歌になる、今からとても楽しみです。

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